カナダ先住民(スクアミッシュ族)の彫刻家、ダレン・イエルトン(DARREN YELTON)氏のバンクーバーで制作したトーテムポールが、カナダとの友好の証として和歌山県日高郡美浜町(みはまちょう)に贈られます。ポールの設置場所は、この地からカナダに渡った移民の歴史を紹介する「カナダミュージアム」。トーテムポールの寄贈を記念し、5月8日に同ミュージアム主催で公開オンライン講座(特別編)が開催されることになりました。講座では、「カナダ移民の父」と呼ばれる工野儀兵衛氏のひ孫であり、トーテムポールの寄贈主でもある髙井利夫氏を特別ゲストに迎え、カナダ先住民のトーテムポールを展示する「みんぱく」(国立民族学博物館)の岸上伸啓教授から「カナダ太平洋沿岸地域における先住民のトーテムポール」の講話をうかがいます。司会は同博物館の中牧弘允名誉教授。日本とカナダの意外なつながり、またトーテムポールについても深く知ることのできるとても貴重な機会です。(参加費無料)
カナダミュージアム 公開オンライン講座 移民研究でつながる Vol.4(特別編)
和歌山アメリカ村にトーテムポールがやってくる!!
日時:2021年5月8日(土)13:30~15:00
特別ゲスト:髙井利夫(工野儀兵衛のひ孫/ケイ・ケイネットワークグループ会長)
話題提供者:岸上伸啓(人間文化研究機構・理事/国立民族学博物館・教授)
司会:中牧弘允(国立民族学博物館・名誉教授)
お申し込み方法:https://forms.office.com/r/PcyRmAJ0DD
■トーテムポールがやってくる
2021年5月、和歌山県の美浜町三尾(みお)に、先住民アーティストがつくった本物のトーテムポールがやって来ます。
このトーテムポールは、三尾と、多くの村民が移民として移り住んだカナダ・スティーブストンの友情の証しとして贈られます。物語は今から100年以上前、三尾出身の工野儀兵衛(くの・ぎへい)氏が、太平洋を渡ったことから始まります。明治のころ、出稼ぎのためバンクーバーの南にあるスティーブストンへと渡った三尾の人たちは、サーモン漁や缶詰工場で働きました。カナダでお金を稼いだ人たちは三尾に戻り、村に洋風の家を建て、北米の文化を持ち込んだことから、当時の三尾村は外国の雰囲気が漂う「アメリカ村」と呼ばれるようになりました。
それから年月が過ぎ、三尾は人口が減り、高齢化も進み、小学校は廃校になってしまいました。そんな中、三尾の活性化に取り組む「NPO法人日ノ岬・アメリカ村」のメンバー、そして三尾の見どころやカナダ移民の歴史を日英両語で学び発信している「語り部ジュニア」のメンバーが、2018年と19年に工野儀兵衛ら三尾の移民が暮らしたスティーブストンを訪れたことにより、三尾のためだけのトーテムポールづくりが動き出しました。
三尾に元気になってもらいたい。そんな思いを込めてカナダからトーテムポールが三尾に贈られるのです。
もっと読む:Portage「トーテムポールがやってくる」
■カナダミュージアム(日ノ岬・アメリカ村)
美浜町の三尾地区は明治以来、カナダへ多くの移民を送り出した土地であり、移民が帰国後にカナダでの暮らしを持ち帰り、独自の文化を根付かせた土地です。
「NPO法人日ノ岬・アメリカ村(和歌山県美浜町三尾地区)」が運営する「カナダミュージアム」は、そのシンボルでもある民家を一般公開し、カナダ移民の歴史や地域にもたらした文化、カナダでの足跡を展示し、その軌跡を後世に伝えていくための施設です。帰国者の古きカナダでの暮らしを味わえるカフェや、ガーデンもあります。
歴史を越え、三尾とカナダの友好の証としてトーテムポールが贈られるいま、カナダミュージアムでカナダ移民の足跡に思いを馳せ、独自の文化の名残を感じてみませんか。
詳しくはこちら:日ノ岬・アメリカ村
■カナダとの繋がりを受け継ぐアメリカ村の新たな魅力
三尾地区には現在、NPOが運営する「アメリカ村食堂すてぶすとん」や、国の登録文化財でもある和洋折衷の古民家を活用したゲストハウス「遊心庵」があるほか、NPOの理事たちが営む海辺の別荘風ゲストハウス「Z’s House」海辺の別荘風ゲストハウス Z’s House | Facebook、SUPが楽しめるゲストハウス&バー「ダイヤモンドヘッド」Guest house & Bar ダイヤモンドヘッド | Facebook、ビーチコーミング&シーグラスアクセサリーの「海猫屋」https://uminekoya30.wixsite.com/my-siteなど、自ら海外に雄飛して異国での生活を切り開いたカナダ移民のスピリットを継承した、新たな魅力あるまちづくりが地域の人びとによって行われています。
■工野儀兵衛(くの ぎへい)
1854年(安政元年)~1917年(大正6年)
美浜町生まれ カナダ移民の父
安政元年(1854)、三尾村(現:美浜町)に生まれる。14歳で京都の宮大工の棟梁に弟子入り、19歳のとき三尾村に帰り弟子を迎え、棟梁として本格的に仕事を始めました。明治16年(1883)頃、村の防波堤構築を請負うことになったが話がまとまらず自力でと考えていたとき、外国航路で働いていた従弟から誘いを受け、カナダへの夢を抱くようになります。
明治19年(1886)、海外雄飛のため横浜へ。そして、海外航路の船員達からカナダのスティーブストンは農業や漁業の将来性があるという話を聞き、明治21年(1888)意を決し横浜を出航、カナダ・バンクーバーに到着、冬季は農業、夏季は鮭漁業に従事します。
ある日、フレーザー河を上る鮭の大群に驚き、漁業の将来性を見て村人を呼び寄せ、以後三尾からの移民は毎年数十名を数えます。現在、その子孫は全日系カナダ人の1割を占めるに至っています。儀兵衛が呼び寄せた移民達により結成された加奈陀三尾村人会は、もっとも有力な日系人団体となります。儀兵衛は、彼らの世話をするため、食料品店を兼ねた下宿屋を経営していたが、明治44年(1911)、老齢と持病のため帰国。
カナダヘ渡っても、つねに郷土を思い、己を忘れて移民たちの世話をすることに生涯を捧げた儀兵衛は、大正6年(1917)、63歳の生涯を閉じました。
儀兵衛の呼び寄せに始まるカナダ移民は、「カナダの三尾村」を作り、母村は「アメリカ村」と呼ばれるようになり、村の経済や文化に大きな影響を与え、周辺町村や他府県でのカナダ移民の呼び水となり、また、カナダ太平洋岸の鮭漁業の発展に大きく貢献したのであります。
この功績を称え、昭和6年(1931)、郷里に顕彰碑が建立されました。また、平成元年(1989)にはカナダ和歌山県人会によりスティーブストンのフレーザー河畔に「工野庭園」が造園され、リッチモンド市に寄贈されました。
参照:和歌山県ふるさとアーカイブ
■スティーブストン
バンクーバーの南に位置する漁港スティーブストン。無数のサーモンが遡上するフレーザー川の河口に位置しています。新鮮なサーモンを販売するフィッシャーマンズワーフがあり、シーフードレストランが立ち並ぶ観光スポットです。このスティーブストンは、かつて日本から漁師やその家族が海を渡り、漁業と缶詰工場を中心に日系コミュニティを築いていました。現在でもスティーブストンには当時の様子を伝える史跡が残されており、カナダ移民の貢献やかつての暮らしを知ることができます。