スコットランド移民がいっぱい
かつてイギリスの植民地だったカナダは、そのイギリスをはじめとするヨーロッパ各国、またアジアやアフリカなどからたくさんの移民がやってきてつくりあげている移民国家です。中でも、イングランドに組み込まれたかつての独立王国、スコットランドにルーツを持つ人は少なくありません。そしてカナダの国家的プロジェクトだった大陸横断鉄道の建設には、多くのスコットランド出身者が関わっていました。本国ではイングランドの下風に置かれざるを得なかったスコットランドの民には、外に出てその能力を発揮しようという人が多かったのでしょう。
大陸横断鉄道の建設を担ったカナダ太平洋鉄道という会社の初代社長、ジョージ・スティーブン(George Stephen)はスコットランド出身で、モントリオール銀行の頭取。そのいとこでCPRの筆頭株主ドナルド・スミスは、カナダで毛皮交易を展開していたハドソン湾会社のカナダ代表でした。「カナダ史で最も有名な写真」の中で、ラストスパイクを打ち付けている白いひげの人物こそが、そのドナルド・スミスです。左うしろに立っているのは大陸横断鉄道の主任測量技師で、やはりスコットランド出身のサー・サンドフォード・フレミングという人物です。彼は時差の問題を解決するため、世界標準時という考え方を提唱したことでも知られています。ラストスパイクが打ち込まれたロッキー山中の名もなき場所がクレイゲラキーと名付けられたのも、スコットランドとの関係からでした。クレイゲラキーとは、ジョージ・スティーブン、ドナルド・スミスの故郷に実際にある高い岩の名前で、戦争の際には見張りが立つような場所でした。
そしてそもそも、この大陸横断鉄道という国家プロジェクトを推進したカナダの初代首相、ジョン・A・マクドナルド(John Alexander Macdonald)もスコットランド出身です。「マクドナルド」のように「Mac」がつくのはスコットランド系の苗字です。カナダではきっとたくさんの「Mac」さんに出会うことでしょうし、時折、バグパイプの演奏にも遭遇することと思います。そう言えば、「赤毛のアン」のアン・シャーリーも、ノヴァ・スコシアの孤児院からプリンス・エドワード島にやってきました。ノヴァ・スコシアとは、新しいスコットランドという意味。そして作者のルーシー・モード・モンゴメリもスコットランド系カナダ人。そんな目で周囲を見つめていると、カナダの旅は一層、興味深いものになることでしょう。