蒸気機関車が走り、街ができた
1867年、建国したばかりのカナダは、その国土の多くが街も農地もない、いわば「空っぽ」の状態でした。そこに蒸気機関車が走り、駅が建設されることによってカナダの開発は進められました。蒸気機関車はその名の通り、蒸気を動力とします。その際に必要なのは水と、水を熱して蒸気に変えるための石炭です。燃料である石炭と水はおよそ150マイルごとに補給する必要があるため、鉄道建設と並行しておよそ150マイル(約240キロメートル)ほどの間隔で駅がつくられていきました。日本で言えば新幹線で東京を出発し、長野より少し先まで行くほどの距離に当たります。駅が建設されると、当然そこで働く人がやってきます。次に彼らの生活を支えるために人やモノが集まるようになり、徐々に街へと成長していきました。
こうしてできた駅に移民の家族たちが降り立ち、さらに馬車などでそれぞれの土地へと向かい、広大なカナダの国土を開拓していったのです。さて、街はできたものの、まだ学校や病院など、人々の暮らしにとって不可欠なインフラは整備されていませんでした。そのため、例えば車両が1つの教室になっている「スクール列車」なるものが登場します。蒸気機関車は、小さな机や黒板のある「教室」と先生を運んできます。 「スクール列車」は一定期間、駅に停車してこどもたちに勉強を教えるのです。あるいは「病院列車」もやってきました。
また、世界第2位の広い国土を持つカナダでは、手紙を運ぶことも容易なことではありませんでした。このため、列車の車両には「郵便局」もあったのです。駅では運んでほしい郵便を詰めた布の袋を高いポールからぶらさげておきます。通りかかった列車は車両の外側に取り付けられたバーで袋をひっかけて回収するのです。これなら列車を停車させる必要もなく、駅が近づいたら速度を落とすだけで郵便を受け取ることができます。そして車内の「郵便局」では、宛先別に手紙が袋に詰められ、今度は駅を通過する際に、袋ごとホームに落とすのです。カナダが開拓されていく過程で、鉄道は生活を支えるインフラとして重要な役割を果たしました。カナダには鉄道に強烈な愛着を持つ人が多いのも、そんな歴史があるからなのでしょう。