鉄路の皇帝 ヴァンホーン
バンフ・スプリングス・ホテルのすぐ横に、怖い顔で建物を指さしている男性の像があります。彼の名はウィリアム・コーネリアス・ヴァンホーン(William Cornelius Van Horne)。難航する大陸横断鉄道の建設を指揮する人物として、カナダ太平洋鉄道(CPR)は前代未聞の年収15,000ドルを支払い、「鉄路の皇帝」の異名を持つこのアメリカ人を総支配人に招へいしました。それまでCPRは10年かけて300マイルの線路を建設していましたが、 ヴァンホーンは就任したシーズンに500マイルの線路を建設すると豪語。目標には及ばなかったものの、たった10カ月で418マイルの線路を建設してみせました。
では、「鉄路の皇帝」の像がなぜホテルを睨みつけているのでしょうか。実はヴァンホーンは、大陸横断鉄道の最後の犬くぎ「ラストスパイク」が打ち込まれてから3年後、CPRの第2代社長に就任し、観光事業の促進に乗り出すのです。バンフはそもそも観光地でも何でもありません。ロッキー越えのため、たまたま線路が通過しただけの「ロッキー山中のある地点」でした。ところが、その日は休みだった鉄道作業員が金鉱脈でもないかと山中をうろうろしている時に偶然、温泉を発見するのです。ヴァンホーンは温泉を核とした観光に大きな可能性を感じたのでしょう。「この絶景を輸出できないのなら、観光客を輸入しなければならない」とホテル建設を命じます。実は「バンフ・スプリングス」もケベックシティの「シャトー・フロンテナック」も、ヴァンホーンの指示で建設されたホテルです。
さて、ヴァンホーンが作らせた「バンフ・スプリングス」の設計図には方角が記されていなかったため、工事は適当な向きで進められました。そこにモントリオールに住んでいたヴァンホーンがやってきて怒鳴り声を上げます。「厨房の調理スタッフに100万ドルの景色を見せようとした責任者をここに連れてこい!」。このひと言で工事はやり直され、客室からもレストランからも美しい景色が見える今の「バンフ・スプリングス」が誕生しました。当時ヴァンホーンは、あのレイク・ルイーズの駅舎でジェリー・クックさんが使っていたようなビジネスカーに乗り、カナダ中を東奔西走していました。ビジネスカーにはすぐに部下を呼びつけられるよう、いたるところに呼び鈴が設置されていたので、周囲はおちおちベッドにも入れなかったでしょう。でも、「ロッキー山中のある地点」に過ぎなかったバンフは、この「皇帝」のおかげで、世界中が憧れる観光地となったのです。