巨木の森
カナダ太平洋岸には、バンクーバー島の「キャシドラルグルーブ」やバンクーバーの「ライトハウスパーク」、あるいはダウンタウンのすぐ近く、市民の憩いの場所である「スタンレーパーク」など、巨木が林立する森がたくさんあります。なぜこのエリアでは木がとてつもなく大きく育つのでしょうか。
そのカギとなるのが黒潮の存在です。南の海からやってきて日本列島をかすめるようにして流れていくことから、日本海流とも呼ばれる温かな黒潮は、日本の東側を北上したあと、進路を変えてちょうどカナダ太平洋岸に流れ込みます。黒潮が運んでくる暖かい空気のおかげでバンクーバーなどこのエリアは冬でも比較的暖かいのです。また黒潮は、たくさんの湿った空気も運んできます。これがコースト山脈やカスケード山脈にぶつかり、その西側に大量の雨を降らせます。黒潮によってもたらされる暖かさと大量の雨が、カナダ太平洋岸に「巨木の森」を生み出してきました。「巨木の森」にはえているのは、日本なら「もみの木」と呼ばれるダグラスファーや、柔らかくて加工しやすいレッドシダーなど。このうちレッドシダーが、その特徴から先住民のトーテムポールの材料となってきました。
さて、黒潮が運んだのは暖かく湿った空気だけではありません。例えば江戸時代、尾張国の港から鳥羽に向かった宝順丸が難破し、なんと太平洋を渡ってカナダ・バンクーバー島のすぐ南、国境をはさんだアメリカ側のフラッタリー岬に漂着し、岩吉、久吉、音吉という3人の少年が救助されるという事件が起きています。1834年のことです。あるいは写真家の星野道夫さんは著書「森と氷河と鯨」の中で、先住民クリンギット族のボブ・サムの言葉として、太平洋岸の先住民には日本人の血が混ざっているかもしれないという口承伝説に触れています。こちらの方は遠い遠い昔の話ですが、いずれにしても、黒潮は太平洋を越えて、たくさんの人や難破船をカナダ太平洋岸に運んできたのは間違いなさそうです。
そしてトーテムポールを生み出した先住民は、難破船の船体に使われていた鉄をはぎとり、ナイフのように削ってレッドシダーを削るのに使っていた、という説があるのです。江戸時代の日本の船がトーテムポールづくりの道具として重要な役割を果たしていたとしたら、なんとも不思議な「TSUNAGARI」を感じさせる話です。