三人の博士導く宵の星希望を宿し今に輝く
一時宣教師の多い軽井沢で育った私は数々のクリスマスの思い出がある。現在カナダに住みクリスマスが来ると幼き日のクリスマスの思い出が脳裏で重なる。小さなモミの木を鉢に植え、父母と紙テープや星をもみの木に飾った思い出、兄が枕元にカメ ラを見つけて有頂天になった事、祖母が焦茶色に濃いピンクと緑の花の刺繍を施した手袋をくれ、早速その日教会にして行き、忘れて取りに戻った時には既に無く泣きながら家に帰った事などの思い出が甦る。
カナダのクリスマスは物の豊かな現在、大分プレゼントの内容は異なるが、givingの精神は大差ない。もちろんクリスマスのプレゼントは家族によって異なり、其々伝統がある。クリスマスのプレゼントの習慣の源は恐らく東方の三人の博士がラクダに乗って輝く星を目当てに砂漠、荒野、山々を越えてキリスト降誕に備えて三つのプレゼント: 金、芳香、芳香を放つ樹脂、gold、frankincense、myrrhをイエス様の枕元に奉納したことに由来するかも知れない。しかし実際に三人の博士がベツレヘムのキリストが眠る枕辺にたどり着くのはクリスマスの12日後とされる。それ故ラテン系の習慣ではこの日をepiphanyと呼んでその日にプレゼントを交換するとかTwelve Days of Christmas と言う歌にもあるように12日間異なったプレゼントを貰うなどの習慣もある。三人の博士の到来と共にカナダでキリスト教の習慣に添う多くの人々はこの日にクリスマスの飾りやイルミネーションをはずす。話が少し逸れたが、最近のプレゼント交換はキリスト教に基づいた習慣より日本と同様商業に基づく傾向が強い。
一般的にクリスマスイブ迄に家庭や学校でクリスマスに何が欲しいかと言う手紙をサンタクロースに書かせる。まず子供達は正直に今年一年が自分は良い子であったか否かに思いを巡らせる。良い子であった点を強調し、悪い子であった点を如何に直していくかサンタクロースに説明する。教育面では思考能力及び反省面を呼び起こし、それをきちんとした手紙形式にすると言う点で、非常に役立つ。その後で、次の一年を良い子で過ごす事を約束して、欲しい物のリストを作らせる。期待と希望と言う面で年に一度欠かせない行事である。小学校低学年の課題であるが、中には物欲だけでは無くデイズニーランドに行きたいとかあるいはもっと深刻な希望を書く子供もいる。欲しい物をサンタが届けるか否かは良い子であったか悪い子であったかの度合いの判断で、先生には責任が無いと言う点でも先生方の好きな課題であると言えよう。
前にも書いたがクリスマスの前夜、子供達はお皿にトナカイの為の人参、手作りのクッキーを準備して簡単なお礼の手紙サンタに書く。子供が寝たのを確かめてから親は隠してあったおもちゃなどリストの幾つかを暖炉の前又はクリスマスツリーの下に置く。暖炉の前に置かれたお皿の人参の葉を残して齧り、クッキーのクズを残す。親の演出も簡単では無い。忘れたりしたら説明が大変である。プレゼントの数は貧富の差もさながら家族の大きさ殊に祖父母のいる子供は数も多い。高いか安いかの問題ではなく子供が欲しいもの、意義のある物、教育的な物、内容はそれぞれである。
我が家では、クリスマスと誕生日以外にはおもちゃを決して買わなかったので、とかくクリスマスは子供達の夢の実現する日であった。現在流行りのおもちゃは絶対欠かせない。学校に行って子供たちが比較をするからである。値段よりも流行のおもちゃをしっかり、リサーチする。もちろん最近はハイテクの物、ギフトカードなども含まれる。経済的に長けた両親はクリスマスにギフトカードをあげて翌日ボクシングデイ即ち大安売りの日に子供に好きな物を買わせる。経済的に致し方が無いならともかくこれはあまり情緒がない。クリスマスの朝はクリスマスツリーの下に山積みになったプレゼントを父母がサンタの代わりに配る。小物はストッキングの中に詰め込まれている。自分の名のついた、あるいは自分のデザインの大きなソックスの中の物を順番に開ける。チョコレート、みかん、キャンディなどを取り出して食べながらツリーの下のプレゼントが配られるのを待つ。子供たちが学校の工作や家庭科で拵えた物も含まれ、両親へのプレゼントになる。私は未だに娘が縫ったエプロン、息子が作ったチーズ専用のまな板を大切に使っている。
クリスマスの前夜雪道を近所の子供達がクリスマスキャロルを歌いに来る。ギター等も抱え、 かなり上手にハモって歌っている。チャリティーで歌うグループや単なる楽しみで歌うグループもある。ここまでくるとクリスマスの雰囲気が盛り上がる。イルミネーションのついた家のクリスマスツリーには子供達が幼い頃学校で作った飾りの数々が飾られ、旅行先で求めた天使などの飾りもある。飾りながら、あるいはクリスマスの日にその想い出の数々を語る。
我が家のクリスマスの朝の食卓には日本のみかん、イタリアのパナトーネン、ドイツのストールンが欠かせない。これらはモントリオールに住んでいた時の近所の方が、ドイツ人であった事、トロントに住んでいた時のお隣の方がイタリア人であった事に由来し、彼等の伝統が思い出と共に我が家の伝統と化したモザイク国家ならではの食卓である。
もう一つ我が家で欠かせない物はクリッブである。これはキリスト降誕の際の馬屋を背景に、飼い葉桶の中で安らかに眠る生まれたばかりのキリストをマリア、ヨゼフ、牛や馬、天使のお 告げを聞いた数々の羊飼いと羊、そして天使が見守る置物である。亡き夫が拵えた簡単な小屋 に子供や現在は孫たちがそれぞれの置物を乗せる。これは夫の両親がオーストラリア駐在中、近くの修道院の修道女達が拵えた物で、古くはあるがキリスト教が廃れつつある現代において、本来のクリスマスの意味と歴史そして慈善の意味を子供達に理解して欲しいという願いを込めて孫らに飾らせる。これは日本でのお雛様や子供の節句の飾り物に匹敵する。
いつも私ごとで申し訳ないが、ギフト交換の裏話をしよう。夫の勤めていた会社が、トロントから、カルガリーに本部を移した時以来40余年親しくしている友人達と共にクリスマスシーズンを祝う習慣がある。6組、すなわち夫婦共々十二人の友人が食事を提供する友人宅に集まる。その時、クリスマスの行事として秘密のプレゼントを準備する。各々夫婦が無名のプレゼントを二つ買い求め(主催者によって異なるが大体20ドル程度の物) 靴箱に入れて綺麗に包装する。無名で、願わくはなるべくユーモアがあり、かつ気の利いた物が好まれる。家の玄関に用意された箱に準備したプレゼントを密かに入れる。
食後食堂から応接間に戻る。ルールが少し複雑であるが、プレゼントの入った箱が持ち込まれる。くじ引きで順番を決めNO1の人が、一つ靴箱を選んで、自分の席に戻りプレゼントを開ける。開けたプレゼントを手元に置くかどうかは未だ定かでない。NO2の選択者が、NO1の選んだプレゼントを欲しい場合はその旨を知らせ、共同の箱から選ぶ権利を破棄する。NO 1は自分が選んだ物が好きでも規則故、NO2にそれをあげて、再び箱から選ぶ。選ぶと言っても全てが 同様のサイズなので、包装で選ぶしかない。この様に自分で選んでも手元に置く又は置ける可能性は少ない。NO5の人がNO1のプレゼントを欲しがる可能性も充分ある。他の人が希望した自分の物を再び希望することはできない。私はコロナ禍寸前のクリスマス会で、靴箱の中にTIM HORTONというカナダではマクドナルドに匹敵するファーストフッドの20ドルのギフトカードを手元に置くことが出来た。そこのドーナッツは有名であり、コーヒーやサンドイッチなどもまんざらでは無い。
クリスマス後早速、買い物の途中、喫茶店により、ドーナッツとコーヒーを注文し、そのカードを差し出す。キャッシアーが、「お客さんすみませんが、このカード1ドルしか残っていません。」と言われて、非常に恥ずかしい思いをした。今年の夏、我が家のベランダで昼食会を久々と開いた折に開口一番その話をグループ全員の前でした。私の当惑をよそに皆爆笑したが、自分がそのギフトの提供者だと顔を赤くして告白した人物は現役の折は副社長の一人で優秀なかつユーモアのある人だが、いく枚かのカードを入れてあるお皿から、空に近いカードとは知らずに取り出して、靴箱に入れたのだと説明したが、皆怪しい物だと言った表情を浮かべた。彼は実際かなりケチなところのある人物として知られているからである。
私は今年も孫の一人にアフガン(アフガニスタンで毛布として使われた物の名称)を編んでいる。雪の結晶模様の非常に複雑なパターンであるが、頭の運動になると頑張っている。イルミネーションが雪の世界を飾る今日この頃、再び新しいコロナ株が世間を脅かしているが、クリスマスは季節と同様喜びと希望をかもし出している。子供達はサンタに手紙を書き、プレゼントの夢を膨らませ、恵まれない子供達へのチャリティー行事があちこちで行われていることだろう。子供らはお小遣いで靴箱に入れる恵まれない子らへのプレゼントを買い求め、美しく包装して信頼の置ける慈善グループに届ける。
長い歴史を持つ Giving の精神はコロナ菌の渦巻く中、寒いカナダの国で今でも続いている。
Merry Christmas and A Happy New Year!