言葉とは おもしろきもの その語源 辿りて覗く 国の歴史を
昔アメリカの若い英語の先生が、日本に貨物船で、来た時に、朝ご飯とともに夏みかんが出た。爪を噛む癖があって、皮が剥けなかった。そこで、「オレンジ 着物 さよなら」と言ったら、船員が皮を剥いてくれたという話をしてくれたのを覚えている。要するに言葉とは文法とか発音より、コミュニケーションのツールである。
外国語は面白い物であるが語源が異なるから習うとなると非常に難しい。私の夫は言葉を非常に上手く使いこなした。つまり若いころ日本に一年いたので、普通の人が一年で習得する位の日本語の語彙に限られていたが、その限られた語彙を使ってコミュケー ションをほしいままにこなしていた。
夫を度々持ち出して恐縮だが、些細な間違いで、全くコミュニケーションが崩れる可能性もある。昔トロントに住んでいた頃の話である。西部カルガリー地方にオイルの埋蔵が発見されてクロンダイクさながらカナダ中の石油会社がトロントやモントリオールから本部を西部に移動した。夫の務めていた石油会社もトロントからカルガリーに本部を移した。正に民族大移動であった。丁度その頃日本の大きな会社に務めていた従兄弟のトロント駐在が決まった。彼の奥さんは大変美しく、優しく、おまけに料理に長けていた。我が夫はそのせいかどうか、カルガリーからトロントに出張というと従兄弟の家で、夕食を取るのが常であった。美しい奥さんは珍しい日本食を出してくれ、その度夫は僅かな語彙でユーモアに溢れた会話を楽しんだ。
ある日出張から帰宅した夫に今回のご馳走についていつものように質問した。夫は珍しく眉を顰めて、デザートを食べるのを断ったと言った。「どうして?何が出たの?」私は興味深く尋ねた。「腐ったおもち」と夫は答えた。「まさか彼女が腐ったお餅を出したりしないでしょ?」「でもそう、クサモチって言ったよ」私の顔がほころぶ。すなわち夫は草餅と聞いた途端に、納豆の様な物でも平気で食べる日本人は腐ったお餅も食べると解釈したのである。這這の体で今回は結構ですと断る夫の姿を思い浮かべておかしかった。それだけでは無い。いかにも気味の悪そうな顔をして、「緑のカビが生えていたよ。」と付け加えた。
従兄弟のお嫁さんに翌日長距離電話で話すと彼女はキャッキャッと笑い転げ、当時はまだカナダで草餅などは珍しい時代で、「最高のおもてなしとせっかく出したのに召し上がって下さらなかったのよ。」と可笑しそうに言った。もちろん彼女はトロントに駐在日本婦人の会で、開口一番この話をする。散々笑った挙句、ある婦人はしみじみと「私達も英語でも知らずにこの様な間違いをしているのでしょうね」と漏らしていたと聞いた。
長い話になったが、うっかりすると、こういう事にもなり得るという一例である。だからと言って言葉を習う時、引っ込み思案になる必要は無い。一つでも多くの言葉を知る事は有益であり言葉の持つ語源を調べると言葉を習うのが一層興味深くなる。
カナダはモザイクの国である事は今更改めて学ぶ知識ではない。世界第二の面積を誇るカナダであるが方言が少ない。全然無いわけでは無いが、日本の様に小さい国にも多数ある方言がカナダには無い。私は方言の専門家ではないので、私が感じ推測した内容に過ぎない。つまり方言は国のサイズではなく歴史の長さによるといえるかもしれない。日本も中国もイギリスも歴史が長い。方言の多様化は
国の大きさ
歴史の長さ
移民の構造
など数々の理由があろうがカナダ英語の特有性を見てみよう。
カナダに方言が存在すると敢えて言いたいならばトロントを含まない東部の言葉遣いであろう。カナダの東部は、400年程前にアイルランドやイギリスからの移民が住み着いた地方である。ニューブランズウィックやケープブレトン、ニューファンドランドの人々の僅かな方言は、カナダに40年近く住む私がようやく感知できるようになった位希薄である。語彙の違いもあろうが、むしろ発音やイントネーションである。
「赤毛のアン」で有名な作家、モンゴメリーの作品の中にもの中にもゲーリックの言葉を使うお年寄りの話が出てくる。ゲーリックはスコットランドで昔使われていた(現在でも僅かながら使われていると聞くが)言葉で英語とはほとんど異なるが、その語彙が幾つか彼らの英語に混じっている場合と、歯切れの良い元気な笑いに満ちた話し方がカナダ東部英語と異なる。
皆さんはJETプログラムをご存知と思うが、日本に英語を教えに行く数々の英語圏の国の中でカナダ人の英語が分かり易いと言われるのは方言や訛りが少ないせいであろう。イギリスやアイルランド、イギリスはロンドンの下町言葉やスコットランドの言葉は全く訛りが違うのに私などでも気付き始める。つまり方言というより主に発音やイントネーションの違いである。移民は毎年の様にカナダに入り、彼らは政府の援助により無料で英語を学ぶ。もちろん英語に近いアングロサクソン系のヨーロッパ移民は英語を短期間で自分のものにできる。単語がかなり似通っているからである。ラテン系に属するイタリア語、スペイン語、ポルトガル語でも単語は語源の同じ物が多く有る。
トロントに住んでいた頃、イタリア人の家族が隣に住んで居て親しくしていた。イタリア人のお祭りに連れて行ってもらった折に招待されていた有名なイタリア系の歌手がイタリア語でユーモアの有る演説をしたが、夫も、私も子供たちもなんとなく理解が出来てお腹を抱えて笑った。イタリア人の友人が ”You understand!”と喜んでくれた。偶然にも分かった程度のもので有るが、言葉の類似性は英語が分かるとヨーロッパ系の言語は分かり易い。
フランス系カナダ人が英語を話すと全く流暢な英語でも『h』の音が抜けているのに気がつく。「have」は「ave」、「hand」は「and」と発音する。が一例である。スカンジナビア系はVやWの発音に苦労する。VERY WELLがWERRY VELLとなる。日本人がRとL、THの発音、milkのLKの間にUを入れたくなる、MILUKU等もその例である。
移民の多いカナダでは一世の移民だとどこから来たのか英語の発音で直ぐ分かる。しかし二世や、幼い時に移民して小学校をカナダで過ごすと、訛りが殆どなくなる。
カナダ西部は一旦東部に移民した人々がクロンダイクの様に金を求めて開拓した土地であり、最近では石油の発見と同時に東部からの大移動がほんの50年前にあったが短い歴史故などでどちらのケースも東部と西部の言葉の差は無い。アメリカに東西南北の差が強くあるのはカナダより歴史が長いのと、母国語の訛りが英語に浸透した黒人の英語、同じく南アメリカのラテン系訛りの英語が、流れ込んだ所以であろう。これは全て私自身の判断に過ぎない。
語彙に関すると先住民の言葉とフランス語が勝利を得る。北海道でアイヌの語源を持つ土地の名が多いように、カナダの土地の名は先住民の言葉が概して多い。カナダの先住民は地方により、部族の言葉が異なり其々の言葉によって土地の名が由来することが多い。例えばトロントはモハック部族の『Tkaronto』からで、「木が生えているところ」、首府オタワはアルガンコン部族『Adawe』貿易を意味し、『赤毛のアン』で有名な現在のPEIは詩的な『Abegweit』「波が揺籠の如く揺れ動く場所」と言う意味であったそうである。(Googleより) 他にもチヌーク:ロッキー山脈の麓を飛び交う暖かい風、ムースやカリブーなどカナダ特有の動物の名ははカナダ先住民から、イグルー(雪の家)やカヤック(ボート)などはイヌイット(エスキモー)の言語からきているのはご存知であろう。
フランス系カナダ人の英語への貢献は言うまでも無い。ファッション界の言葉には大抵フランス語であり、北国カナダでは無くてはならない帽子トゥーク、以前登場したファーストフード、プティン等はカナダでのみ使われるフランス語の一例である。
人口の少ないカナダは移民の大移動は少なく、自己主張の少ない少数の移民がカナダ人に溶け込み、方言の少ない英語を習得する。長年カナダに住んでいる英国人やアイルランド人でも、訛りが強い人とカナダ英語に同化する人とがあるが、各自の個性に依るものもあるであろう。私は英語のオーディオブックをよく聞く。最初は英国の発音も乙な物と感じていたが、ナイフで切れるような強い訛りに辟易し、やはりカナダの英語は良いなと思う今日この頃である。
文:ライリー洋子