太平洋沿岸の先住民
古くからカナダ太平洋岸の先住民は、サーモンを中心とした「命のサイクル」の中で暮らしてきました。海の近くに数家族がともに住む大きな木造の家を建て、サーモンや森の木の実を食べ、巨大なトーテムポールを作り、そこに一族の物語を彫り込んできました。しかし19世紀後半から白人が同化政策を推し進め、トーテムポールや言語、踊りなどをすべて禁じてしまいました。
およそ100年に渡って途絶えていた先住民文化を復活させるのに大きな貢献をしたのは、彫刻家ビル・リードと画家エミリー・カーです。実はこの2人は先住民ではありません。ビル・リードの母親はハイダ族ですが、父親はスコットランド系アメリカ人で、彼はヨーロッパ文化の中で育ちました。エミリー・カーはそもそも白人女性です。そんな2人がトーテムポールを彫り、トーテムポールを描き、先住民文化復活の原動力となったのです。そしてハイダ族であるレジ・デビッドソンは、トーテムポールのほかに仮面を彫り、部族の踊りを舞い、自らの手でハイダ文化の復活に取り組んできました。レジの娘もまた、夫や子どもたちとともに、ハイダの家庭料理や歌、踊りなどを観光客に紹介し続けています。
レストラン「サーモン・エン・バノック」のオーナー、イネス・クックさんは同化政策によって子どもの頃に部族から引き離され、白人家庭で育ちました。今は部族とのつながりも復活し、先住民コミュニティの助け合いの中のキーパーソンとなっています。さて、バンクーバー空港に到着した時の光景を思い出してください。空港内は先住民アートにあふれていました。旅人を歓迎してくれたのは、男女一対のトーテムポールでした。お土産物屋を見るとマグカップやTシャツ、帽子、アクセサリーなど、先住民アートや先住民のデザインに溢れています。
もしバンクーバー空港から先住民の要素を一切なくしてしまったら、なんだか味気ない普通の空港になってしまいそうです。もし、世界一住みやすいと言われるバンクーバーの街から先住民のアートやデザインを一切なくしてしまったら、バンクーバーは他の北米の大都市と似通ったものになるでしょう。まさにサステイナブル(持続可能)な「命のサイクル」とともに生きてきた先住民の文化があるからこそ、バンクーバーをはじめとするカナダ太平洋岸はより輝きを増しているのかもしれません。