ウエストジェット航空の成田からの直行便が就航し、ぐっと身近になったカルガリー。この西部の町で見逃せないのが、「地上最大のアウトドアショー(The Greatest Outdoor Show on Earth)」と銘打つカルガリー・スタンピードです。今年も7月7日から10日間に渡って開催されます。カルガリーは、現在のように石油・天然ガス産業で栄える以前は、牧畜の中心地でした。何しろ町の東には大草原が果てしなく広がり、牛を飼うのにもってこい。だからカルガリーは牛の町、「カウタウン」とも呼ばれます。カルガリー・スタンピード(以下、C.S.)は、そんな、いかにも西部の町カルガリーらしいイベントです。
一年前、そのC.S.を見に行きました。会場ではカウボーイやカウガールが馬に跨ってパカパカ闊歩している・・・といった光景を想像していましたが、実際に行ってみたら全然違いました。馬など一頭も見えません。目に入ったのは凄い数の人また人。そして、人の波を飲み込む膨大な数の屋台です。食べ物や飲み物の店もあれば、ゲームを提供する店もあります。まるで壮大な縁日!というのが、第一印象でした。屋台だけではありません。観覧車やジェットコースターなど大掛かりな乗り物が並び、屋外ステージではライブコンサートも開かれます。とにかく、想像を絶する盛大なお祭りでした。

さて。初見の興奮が落ち着いたところで、改めて会場を探索してみて、ようやく本質的な部分が見えてきました。それは、C.S.の成り立ちにも関わる、このイベントの根源的な部分で、3つの区域、(1)農業ゾーン (2)ロデオゾーン (3)先住民ゾーン からなっています。
(1)農業ゾーン
(Agriculture Building)とニュートリエン西部催事センター(Nutrien Western Event Centre)で構成されるゾーンです。C.S.と農業は、深い関係にあります。カナダに編入された1870年当時のカルガリーは、西部の辺境でした。町(タウン)に認定されたのは1884年。その2年後の1886年に地区の農業協会が開催した農業祭が、C.S.のルーツとなりました。農業祭は、主催者が代わるなどしながら、年ごとに発展。その成功を背景に、1908年、カルガリーが主催する「カナダ自治領博覧会」が開かれます。同博覧会では、農業関連の展示等の他、ロデオや投げ縄のコンテストも行われました。そして、その中から、現在のC.S.が芽生えたのです。

柵に仕切られ、様々な品種の牛や馬、豚や羊、さらにはラマやミツバチまで、アルバータ州の多様な家畜が展示されていて、「アルバータ家畜動物園」さながらでした。もう一方のニュートリエン西部催事センターは、屋内にアリーナ(円形劇場)があり、馬術のエキジビションや大型の馬が牽く馬車の競技などを見ることができました。

(2)ロデオゾーン
農業ゾーンの奥にドーンと構えるMGCスタジアム。収容人数25,000人の、この競技場が、C.S.の呼び物であるロデオの会場です。
農業祭とは毛色の違う、「ロデオのイベント」としてのC.Sを立ち上げたのは、ガイ・ウィーディックという人物でした。彼は元々アメリカの「未開の西部ショー」の団員で、投げ縄名人として前述した1908年開催の「カナダ自治領博覧会」に参加していました。その経験から、「もっと『未開の西部』寄りのイベントにしたら一層の大成功を収めるに違いない」と確信。4人の実業家を説き伏せて開催資金を確保しました。こうして1912年に催されたイベントこそ、第一回目のC.S.だったのです。この時は一回限りでしたが、1923年に従来の農業祭と合体し、以後は毎年開催されるようになりました。

ちなみに、「スタンピード」とは「牛の群れなどの大暴走」ですが、カナダ西部では「ロデオ」と同じ意味でも使われます。また、「ロデオ」は、「荒馬乗り」だけでなく、荒牛乗り(ブル・ライディング)や、子牛縛り競争(カーフ・ローピング)、牛を押し倒す競技(スティアー・レスリング)など、カウボーイの仕事から生まれた様々な競技の総称です。MGCスタジアムでは、毎日夕方にチャックワゴン・レースも行われます。チャックワゴンは炊事用の幌馬車、今で言えばキッチンカーですね。4頭立ての馬車が猛スピードで走るのですから、凄い迫力です。観客席のあるエリアを出発し、スタジアムの周り1kmほどのトラックを1分少々で疾駆します。このレース、一説には、1923年のC.S.の際にウィーディックが考案したといいます。なお、MGCスタジアムでの競技を見るには、別途チケットが必要です。よい席で見るには、それなりのシートを買わなくてはなりません。
(3)先住民ゾーン
会場の一番奥、エルボー川の河畔に、先住民のテント「ティピ」が円く並んだ「エルボー・リバー・キャンプ」があります。ティピの数は26基。まるで西部劇の「インディアンの村」に入り込んだようです。

ウィーディックは「インディアンは西部のイベントに欠かせない」と考え、地元の先住民に出場を要請しました。これは彼らにとって願ったり叶ったりでした。当時、先住民は、政府の同化政策によって伝統的な歌や踊りを禁じられ、勝手に居留地を離れることも許されませんでした。そんな彼らに、C.S.は、伝統的な歌や踊りを大っぴらに披露できる、またとない機会を提供したのです。当局は先住民の参加を禁じようとしましたが、ウィーディックはこれと戦い、先住民が参加できるようにしたのでした。「C.S.がなかったら、私たちの文化も途絶えていただろうね」と、地元先住民の長老から聞きました。他ならぬ先住民自身の言葉だけに、説得力を感じました。
ここのティピはどれにも独特の図案が描かれています。それぞれ、持ち主に訊くとその謂れを詳しく教えてくれました。ティピの前にブースを設け、一家に伝わる晴れ着や道具類などを披露する人たちもいます。博物館の展示とは違い、当の先住民の人たちから直接話を聴けるのが魅力です。隣接の野外ステージでは伝統の歌や踊りを紹介。その他、先住民の食べ物を提供するブースもあり、手作りアクセサリーなどのショップも沢山並んでいました。

また、近くにある屋内競技場「サドルドーム」では、踊りのコンテスト「パウワウ」が催され、先住民の人たちが晴れやかに着飾って踊りのワザを競う姿を堪能できました。ちなみに2023年のパウワウは7月12日・13日に開催の予定です。この他、MGCスタジアムでは、毎夕、チャックワゴン・レースの後、先住民のリレー競馬が催されます。裸馬に跨った騎手が、観客席前を出発し、チャックワゴンと同じ1kmのトラックを猛スピードで走るのですが、一周で終わりではありません。馬を2回乗り換えて、三周します。大平原に駿馬を駆ってバイソン(野牛)を追っていた頃からの伝統が今も生きていることを実感しました。先住民によるリレー競馬の後にはバンドの演奏や花火がつづき、スタジアムを出る頃にはすっかり夜。しかし、華やかな明かりが照らしだすC.S.会場の賑わいは夜中まで続きます。
C.S.は、会場だけのイベントではありません。初日には町のメイン通りで大規模なパレードが催され、カルガリーに住む実に多様な民族グループが、それぞれの文化を反映したパフォーマンスを披露ながら練り歩きます。東アジアからの日系や韓国系、中国系の人たちのグループも参加していました。また、開催期間中、街角では毎朝パンケーキがふるまわれるなど、C.S.は町を挙げてのお祭りでした。

会場でも街の中でも、白いカウボーイハットを被った人たちをよく目にしました。このハットは、C.S.とカルガリーの象徴です。と同時に、カルガリー市民のホスピタリティー、「おもてなし精神」をも表しているといいます。事実、C.S.に来た知人のカナダ人によると、この町の人たちはカナダの他の地域の人にもましてフレンドリーなのだそうです。かつて、西部の辺境では、人々が互いに手を取り、助け合って生きてきました。そんな暮らしの中で培われてきた、ホスピタリティーの気風。これこそが、まさに、C.S.が体現する「西部カナダの魂」なのです。

※C.S.を動画取材しYouTubeに投稿しました。パレードの様子もわかります。
https://youtu.be/lE1BCYM1wS8
文:横須賀孝弘